出発まであと数時間、トローリーケースとバックパックを前に腕を組む。
さて、どうしたものか。
たかが3泊4日の東京滞在、こと初日に関しては到着してホテルのベッドに潜り込むだけなのに、
数日の海外出張に使用していたトローリーからは荷物があふれていた。
さっき着けたばかりの、まだ体温に馴染まないヒヤリとする腕時計を覗き込む。
思考を停めて、トローリーのフタに膝を押当てながら目一杯の力でジッパーを閉めた。
小さな夢と期待も入れて。
東京の夜景まで約1時間。
機体が高度を下げるにつれ、無数の光の粒が鮮明に輝きだす。
離れてからまだ2ヶ月も経たないというのに、時として嫌悪を感じたこの都会に郷愁を覚える自分を発見する。
僕は狭い座席でロッドケースを握りしめ、しばらくの間、ここでの生活を思い返していた。
それにしても、、、
ロッドを手に、痛快の思いで東京を脱出することは度々あったが、まさか東京入りすることになるとは。
今回の旅の締めくくりとなる最後の目的が始まる。
きっともう通る事は無いと思っていた忌々しい渋滞の中央道も、今日は恋しい気持ちでみえるのだから、
自分はつくづく単純な奴なんだと思う。
雨脚が強まったり、弱まったり。
僕は隣で運転する大学時代からの親友と話をしながらも、時折空を覗き込んでは、
回復の兆候が見られそうにない鈍色の空を恨めいた。
僕が今のように釣りにはまり込むきっかけとなった初めての日を思い返してみる。
真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。幼少の頃に見た夏休みの空だった。
盛夏の青々とした木々からは夏の匂いを感じ、鳥や蝉の声が静かな釣り場に響いている。
そして隣には気の置けない親友。
魚信皆無が数時間続き、ただひたすらボトムをトレースしていたスプーンに突如伝わった衝撃。
身体中を一気に電気が駆け巡り、脳天まで痺れた興奮と感動。
親友が駆け寄り、がっちりと交わした握手の力強さ。
もう二度と訪れることは無い初めての体験は、今でも昨日の出来事のように鮮明に蘇る。
僕にとって、そのいずれも、全ての要素が最高のお膳立てであった。
釣り場に到着して早速準備に取りかかる。
霧を纏った水面は降り続く雨に叩かれている。
一通り友人がルアーを引いた後、用意してきたフライタックルを手渡す。
フライフィッシング一年生の僕が未熟な知識と経験でもって、彼にこの底なしの世界の入り口を紹介するのだ。
大層な役目である。
いまだ不細工ではあるが気を込めて巻いてきたエルクエアカディスを結ぶ。
いつもなら直ぐにフライに出てくるはずだが、今日は激しく叩き付ける雨のせいか反応が無い。
やはりこういう時はドライフライを見つけにくいのだろうかと、特に話しかけるでも無く声にしてみる。
雨脚が弱まり、慌ただしくしていた水面が落ち着きを見せ始めた。
そろそろ反応してくれるだろうか。
食らいつくそぶりを見せる魚影に息をのんで、頼む食ってくれ!と念を送るがなかなかそうはいかない。
そんな時間がしばらく続いた。
僕は目の端でちらりと彼の表情を盗み見る。
どうだろう、まだいける感じなのか、それとも小休止したほうがいいだろうか。
その表情からは気持ちを汲み取る事が出来きないままに僕は自分のタックルを置いて横に付いた。
彼の放るフライを目で追う。
2投、3投、流れ込みの白沫の端をフライがゆっくりと流れ出し、すっと小さな影が近付いた。
控えめだがはっきりと水面が盛り上がりフライが消えた。
僕はとっさに、大声を張り上げていた。怒声にちかかったかもしれない。
合わせろっ!引けっ!
左手で引くフライラインの張力だけに注視していた。
彼は言われるがままに、ただがむしゃらにラインを引き込み、そして僕もまた必死だった。
小振りな岩魚がしっかりと彼の大きな手中に収まった。
張りつめていた気持ちと身体の力が一気に抜けて、大きな喜びとともに安堵した。
他人が釣る事にここまで自分の気持ちを重ねることができることに驚きながらも、
とても満たされた気持ちでいっぱいだった。
そして僕が初めて釣った日と同じように、今度は僕が、釣りを教えてくれた彼の立場となって握手を交わした。
こういう気持ちだったんだなと今になって思う。
ずっと降り続いていた雨も上がり、雄大な富士がしっとりと湿気を含んだ冷気のなかに浮かび上がる。
彼の始まり、僕らの至福の時を締めくくる最高の景色が広がっていた。

素晴らしい体験をありがとう。
2012年12月22日 忍野にて
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- 2012/12/28(金) 12:55:37|
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